常識の落とし穴、水吞百姓は裕福だった!?

公開日2022/04/05
更新日2023/02/07

前回のコラムでは、古代から近世に至る土地制度のフレームを、徴税という観点からお伝えさせていただきました。
 
現代の歴史教育を受けた私たちは、農地と税金と聞けば、つい反射的に過酷な取り立てや重税をイメージしてしまうことでしょう。
 
たしかに、戦後の土地制度研究では、農地解放を歓迎する趨勢のもとで、昔の住民台帳を基礎史料として田畑を持っていない百姓の人口推移を調べ、自作農から小作農への転落を証明することによって、地主へ土地の一極集中を論じるトレンドがあったことは事実です。
 
そのような分かりやすい構図の中で、水吞百姓はあまりに貧しくて水しか飲めなかった、というイメージが形成されてきたわけですが、史料の発掘が進んできた前世紀末くらいから、それまでとはまったく異なる近世の姿が報告されるようになってきました。
 
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まず知っておいてほしいのは、「水吞百姓」という言葉は、水しか飲めない百姓を意味しているのではありません。水吞という階級に、百という数字に代弁されるたくさんの職業があったことを意味しています。
 
流通経済がかなり発達していた近世で、数値的根拠として全国規模で追いやすいのは物流の記録です。
 
これも歴史の盲点なのですが、近世の輸送手段の主流は、陸上輸送よりは水上運輸にありました。
 
当社の新卒導入研修では、毎年この時期に「東京23区のなりたち」と題した講習を行い、江戸の町をつくるにあたって、なぜ徳川家康は、現在の中央区に相当するエリアの、ズブズブの干潟の埋め立てから始めたのかを問うことにしています。満足な答えがかえってきたためしはないのですが、その理由は単純に、水上運輸において便利だったからです。
 

東京23区のなりたち

▲新卒導入研修内の「東京23区のなりたち」で、歴史を語りつつ図解
 
海上交通の拠点は、当然のことながら海に面しているので、人が生きていくうえで欠かせない塩を製造して売りさばいたり、クジラやイルカといった海獣から取れる油を売ったりもしていたのです。
 
今の言葉でいえば、地理的条件の非対称性とでもいいましょうか、地の利をいかして稼ぎまくっていた彼らが、水しか飲めないほど貧しかったわけがありません。
 
沿岸住民は、肥料にする魚をとっていただけではないのです。
 
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一方の陸上輸送にしても、基本資源たる馬や牛を活用して、運送に限らないビジネスへの展開が可能です。
 
まず思い浮かぶのは、農耕用の貸し出しですね。
 
「牛飲馬食」という言葉があるくらいですから、とてもじゃありませんが小規模農家が牛馬を飼って維持できるものではありません。
 
時代的な要請としては、軍馬の需要というのもあります。
 
馬の寿命はせいぜい20年でしかなく、定期的な受注が約束されているわけですから、きっと安定したマーケットが形成されていたことでしょう。
 
マニアックなところでいえば、薬用としての牛乳製造という職もあったようです。
 
さらに、これは水運業とも共通する仕組みだといえますが、運輸があり、物資の集積があれば、必然的に倉庫業というものが発生します。
 
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上記のように、水吞階級の百といわれる職業のうちの3つばかりを概観しただけで、それなりに余裕のある暮らしぶりが想像できたのではないでしょうか。
 
すべての水吞百姓が裕福だったというわけではありませんが、固定観念に縛られないための頭の体操として、今回は紹介させていただきました。

このコラムを書いている人

中村 彰男

中村 彰男

1961年 東京生まれ 学習院大学経済学部卒業後、37年間一貫して不動産業に従事。 うち、ローンコンサルティングなど業務畑経歴24年。 実家をアパートに改築し賃貸経営を行うかたわら、 自身も不動産投資にチャレンジした経験を持つ。 保有資格:宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士/ビル経営管理士/宅建マイスター/管理業務主任者/賃貸住宅メンテナンス主任者/2級ファイナンシャル・プランニング技能士/不動産コンサルティングマスター/土地活用プランナー

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