川嶋辰彦先生の思い出と実務に役立った学び

公開日2021/11/12
更新日2021/11/11


一度社会に出てしまうと、試験にうなされる夢を見ることを除けば、学生時代のことを思い出す瞬間はあまり多くはないものですが、お世話になった担当教授の訃報ともなれば話は別です。
 
私の母校の教授には、誰もが知っている有名人はさほど多くはありませんでした。自分の卒業後に訃報がメディアを賑わせた例だと、仏文の教授で作家でもあった辻邦生さん、同じく仏文の教授でクイズダービーへの出演で有名になった篠沢秀夫さん、国語学の重鎮だった大野晋さんなどが挙げられます。
ここだけの話、お世辞にも“真面目に通っていた”とはいえない怠け学生が往時を回顧するのは、おそらくこれが最後になるでしょう。
 
高校時代、部活に夢中になりすぎて、指数関数あたりで数学から落ちこぼれたにもかかわらず、経済学部に進むという選択はある意味自殺行為です。
そして、数学的素養がなくてもある程度は何とかなるはずだった経営学科であっても、必修科目の呪縛からは逃れられないと気づいたのは、1度目の留年が確定したときだったかもしれません。
 
意を決して講義要録を確認し、名前のわりには数学まみれではなさそうな統計学を履修することにしたのですが、その担当教授が川嶋辰彦先生でした。
 
前期の講義は概論的な内容だったため、前期試験を難なくパスすることができましたが、後期に入ると若干雲行きが怪しくなります。
 
「みなさん、行列って知っていますよね?」と当然のように言われたことを今でも覚えていますが、いわゆる「数Ⅲ
を回避した私にとっては聞き慣れない単語です。
 
おもむろに首を振る私と数名の学生を見た川嶋先生は、「それじゃみんなで一緒に復習しましょう」と言い放ち、行列の基礎を教えてくださったばかりか、授業を履修している学生をひとりずつ黒板の前に招き問題を解かせるなど、貴重な体験をさせてくれました。
 
“大学5年生”で高校レベルの問題を解かされるという体験のインパクトが強すぎて、川嶋先生にまつわるエピソードでほかに思い出すことといえば、講義の終わりには必ず「それではよい週末を」というフレーズで締めくくられていたことくらいです。しかし、留年生を憐れんで、ちゃんと単位をくださった恩は忘れていません。
 
後年、文仁殿下の岳父になられるとの報道がされた際に、まっさきに思い浮かんだのがあの行列の講義でしたが、できない学生を怒るでもなく、終始にこやかに見守ってくださった姿を思い出し、胸があたたかくなりました。
 
その後、行列はおろか、数学という領域からは無縁な社会人生活を送ってきたわりには、なぜか数字に強いという評価をいただいてきたのは川嶋先生のおかげかもしれません。
 
学生時代に学んだことは、ダイレクトに社会で役立つものばかりではなく、経営管理論、経営組織論、経営財務論あたりは、長いこと基礎教養の域にとどまっていました。実務に活かせるようになったのは、人事領域の業務に携わるようになってからでしたが、それでもちゃんと役に立っているので、 “真剣に取り組んだ勉強は無駄にはならない”という一般論はあながち間違いではないようです。
 
しかし、成り行きで受験することになった「ビル経営管理士」という資格における賃貸経営の会計と財務という単元の小テストは、ささやかな自信を木っ端みじんに打ち砕いてくれました。
長いキャリアのほとんどにわたり、経理領域の業務につかず離れず携わってきた私には、それなりに自信めいたものがありましたが、ビル経営管理士の資格は経験と自信だけでは得られません。
 
そもそも予習をしないで臨んだ私が甘かったのですが、ビル経営管理士の試験は複数の設問に完答しなければ正解にならないため、しっかり腰を据えて勉強しようと決意しました。
 
“真剣に取り組んだ勉強は無駄にはならない”という一般論を信じて、還暦をものともせずに精進しますので、1月に担当するコラムのプロフィールには、「ビル経営管理士」の文字が加わることを楽しみにしていてください。

このコラムを書いている人

中村 彰男

中村 彰男

1961年 東京生まれ 宅地建物取引士、賃貸不動産経営管理士、 宅建マイスター、管理業務主任者 2級ファイナンシャル・プランニング技能士 学習院大学経済学部卒業後、約35年間一貫して不動産業に従事。 うち、ローンコンサルティングなど 業務畑経歴24年。自身も不動産投資にチャレンジし運用に失敗した経験を持つ。

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